「まちだで好きを続ける」|町田市シティプロモーションサイト

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まちだではたらく

子どもの頃から慣れ親しんだ町田は
僕を育ててくれた母なる存在。
町田で日本酒の大きなイベントを
開催するのが目標です

更新日:2024.5.23

水津祐輔さん 日本酒ラボ

小田急線「町田駅」東口から徒歩2分の路地裏に位置し、雑居ビルの2階に佇む”日本酒ラボ”。お店というより、事務所に迷い込んでしまったかのような店構えを目にすると、入るのに少し勇気がいるかもしれません。でも、それが“日本酒ラボ”の魅力でもあります。ドアを開けると、やさしい笑顔の店主・水津祐輔さんが訪れる客を心地よく出迎えてくれます。目に飛び込んでくるのは、日本酒がずらりと並んだ冷蔵庫と、大きなテーブルが2つ。日本酒好きが集まる秘密基地のような雰囲気は、町田でも稀少な存在です。

壁には日本酒のラベルがずらり。飲み放題の日本酒の種類は80〜100種類ほど。

「店をオープンしたのは、2015年のことでした。僕は大学の頃からずっと日本酒の店をやりたいと思っていて、イメージしていたのは、酒屋と飲食店の中間みたいなお店です。たくさんの種類の日本酒が置いてあり、うちで飲んで気に入ったら、『どこどこの酒屋さんで買えるから、そこで買ってください』というような日本酒の案内所みたいな店にしたい。そう思っていました」

水津さんは、生まれも育ちも川崎市多摩区。町田との接点ができたのは、中学生の頃だったといいます。

「町田ではゲームセンターで遊んだり、映画を観たり、買い物を楽しんだりしました。地元は『読売ランド前駅』です。町田は好きなゲームをはじめ、なんでも揃うすごい街という印象でした。欲しいものがたくさんある、僕にとっては夢の場所(笑)。大人になったら、この街であれこれ買い物するぞ!と思っていました」

私立の中高一貫校に通学していた水津さんは、中学2年になると「町田にある塾に通いたい」と親を説得。それから高校3年まで、町田の塾に通い、町田で学び、町田で遊ぶ青春時代を送ったといいます。

「僕はガタイがいいので、『運動をやっていたでしょう?』と聞かれることが多いのですが、全然(笑)。物心ついた頃から生き物が好きで、中学・高校時代とも生物部に在籍していました。生き物のなかでもいちばん好きなのが魚です。親によると幼稚園の頃には魚類の図鑑をボロボロになるまで読み込んでいたらしく、すべてのページがバラバラに外れています(笑)」

水津さんは寿司好きのお父さんの計らいで、小さい頃から市場に出入りしていたため、魚の鮮度と見分け方には自信があるそう。
常連さんが作ってくれたという酒屋の前掛け。

大学時代は町田のライブハウスで活動し、
社会人時代も飲み歩く街は、町田

生き物好きが高じて、高校卒業後は山梨県にある帝京科学大学の生命環境学部に進学し、アニマルサイエンス学科を専攻。そこでバンド好きの友達と出会って意気投合した水津さんは、仲間とロックバンドを結成しました。小さい頃にピアノを習っていたので音楽にも縁があったそうですが、モテるかもしれないという下心もあり、ギターを担当。ここでも、また町田との接点が……。

「最初は学校のサークルだったのですが、途中から本格的にやろうということになり、町田のライブハウスに出入りするようになったんです。僕は町田が好きだったので、町田のライブハウスにお客さんを呼んで、町田でライブを演りたいと思って。他には八王子にも出没していました。
日本酒にハマり出したのは、ちょうどその頃です。友達の家で麻雀をやりながら、カッコつけてお酒を飲むわけですが、ビールは苦くて、口に合わない。全然おいしく感じなかったのですが、日本酒を飲んだら、ヤバい、おいしい!とハマって、それからずっと。最初に飲んだ日本酒は『八海山』でした」

バンド活動は次第におざなりになり、水津さんは日本酒オタクの道へまっしぐらに歩み始めました。バイト代はすべて日本酒につぎ込んだといい、飲み歩く街は、やっぱり町田。

大学を卒業後、水津さんは日本酒の仕事をしたいという思いを持ちつつ、東芝の工場に就職しました。そして、1年間働いたところで、十日市場にある老舗の酒屋、坂口屋に転職。インターネット販売のシステムの立ち上げを担当した水津さんは、最終的にネット店舗の店長をまかされるようになります。

「坂口屋では、日本酒の仕入れや管理、新規開拓といった日本酒の修行をさせてもらいました。全国の酒蔵へも多数訪れています。そのおかげで、酒蔵ごとに異なる機材で作られていて、異なる香りがすることや、酒作りにおける工夫や大事にしているポイントなどを学ぶことができ、それがデータとして蓄積されていきました。最初は日本酒オタクみたいに、飲んだ日本酒の味をノートに書きためていましたが、“好きこそ物の上手なれ”なのでしょうね。その後のデータは基本的にすべて自分の頭の中にインプットされています」

店内にはラボの雰囲気を醸し出す一角も。
水津さんの推しの銘柄、恵那山。

町田はホームタウン。
今でも町田で飲み歩くのが楽しい

7年間、修行したのち、29歳で坂口屋を退職。水津さんは、自分の店を出す準備をスタートさせました。大きなきっかけになったのは、都心に日本酒飲み放題の店が開店したこと。

「180分くらいで60種類程度の日本酒が飲み放題3300~3500円だったかな。店の内装は殺風景で、冷蔵庫と業務用の机が置いてあるだけ。つまみの持ち込みもOKで、あとは自分で好きに飲んで、みたいなスタイルでした。これならお金もかからないし、自分にもできる、そう思って。
坂口屋で働いているときも、相変わらず町田で飲み歩いていたのですが、当時の町田には日本酒を安く飲めるお店が少なかったんです。都心にできた日本酒飲み放題の店は、町田にも必ず現れる。自分が先行すれば、断トツの存在になるに違いない。そう確信したのが、町田に店を出した理由です」

水津さんの思惑は見事に的中し、開店して間もなくすると“日本酒ラボ”は、予約の取れない人気店になりました。ところが、3年たった頃には平日の客足が鈍くなるという課題が生じたため、軌道修正を行い、一杯売りや魚を中心にした料理を提供。それが功を奏して、今では魚目当てのお客さんも来店するようになったといいます。

「町田は、家に近い存在です。町田から離れようと思わないし、ここが当たり前に自分のホームタウンだと思っています。町田の魅力は、ものすごく間口が広いこと。うちみたいな隠れ家的な店もあれば、不思議でおもしろい店がたくさんあり、正統派の店もある。今でも町田で飲み歩くのが楽しくて、自分の街ではないのに、自分の街だぜ!と思っているんですよね(笑)。
僕にとっての日本酒は、人生をかけるに値する存在だと思っています。ここ1年くらいの間に達成できそうな目標は、町田で日本酒の試飲会を開催することです。店とは異なるハコを借りて、最初は酒蔵さんを10ぐらい呼ぶ程度でもいいと思っています。そして、最終的には町田で大きな日本酒のイベントをやりたい。町田っておもしろいことをやる街だよね、と思ってもらえたら、僕を育ててくれた母なる町田に恩返しできる気がします。」

こだわりは、お客さん同士に仲良くなってもらうこと。楽しく飲んでもらわないと、おいしいお酒もおいしくないというのが信条。
種類豊富な日本酒とおいしい魚料理もこだわり。

PROFILE
1985年、川崎市多摩区生まれ。帝京科学大学アニマルサイエンス学部では、クジラ研究のゼミを選択。29歳で起業し、日本酒ラボの店主に。店では、約100種類の日本酒と、日本酒に合うリーズナブルでおいしい料理を提供。クジラの刺身とうまい魚を楽しめることでも人気を博している。

日本酒ラボ
TEL:042-850-8346
住所:町田市森野1丁目34-13 TM3ビル203
HP:https://www.nihonshu-labo.com
@nihonsyulabo
@日本酒ラボ

撮影/上樂博之  取材・文/小山まゆみ
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