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SPECIAL

町田市民ホールで初めて落語を見て
サラリーマンから落語家へ

更新日:2023.10.12

柳家小はぜさん 落語家

川崎市麻生区の出身で、現在は町田の住人でもあり、寄席を中心に、都内や地元の町田、全国各地でも定期的に高座に上がっている落語協会所属、二ツ目(*) の柳家小はぜさん。チケットを譲り受けてたまたま見に行った柳家小三治さんの落語に心を揺さぶられ、28歳で医療関係のサラリーマンから落語家になろうと決意しました。それまでは落語に興味もなければ、縁もなかったそうですが、それまでどのような道のりがあったのでしょうか。

「場所は町田市民ホールでした。そこで初めて落語に触れたわけですが、決して前のめりで見ていたわけではなく、最初はなんだろう、これ?という感じでした。例えるなら出会いもそうじゃないですか。初対面の印象はよくなかったけど、友だちになりましたとか、結婚しました、みたいな。けれども、全然落語を知らないのに笑っている自分がいて、心をつかまれたというのでしょうかね。その時すぐ、弟子入りしようと思って、町田市民ホールの楽屋口で小三治師匠の出待ちしました。ところが、いざ小三治師匠が出てきた時に足がすくんで前に出ず、結局そのまま帰ってしまったんです。その日を境に、小三治師匠の自宅を探し歩きました。当時はまだ会社勤めの土日休みだったので、休みを丸々使って、ようやく見つけ出し、家の前で出待ちをしました。ここでピンポンを押したらいけないと思って、師匠が出てくるのをずっと待ち、出てこなければ出直す。そんなことを何回か繰り返して、やっとお会いできたのが数ヶ月後。そのときも足がすくんじゃったけど、あのときみたいに情けない自分じゃダメだと思って、言いました。たった一言、『弟子にしてください』と」

小三治師匠は「困りましたねぇ」とだけ言って、そのまま黙ってしまったのだそう。小三治師匠が弟子をとらないことは知っていたけれど、「弟子にしてください」と小はぜさん。「いや、弟子は取らない」と小三治師匠。近所の喫茶店で向かい合い、ただただ沈黙の時間が続いたそう。

 「小三治師匠も耐えかねたのでしょうね。『俺は弟子をとらないけれど、俺の弟子の弟子になれば、何かと俺のそばにいられる』と言われました。『ただし、弟子たちにこういうやつが来たから、話を聞いてやれとは言わない。口利きはしないし、お前はまだ落語を知らないんだから、落語をもっと知って、噺家をたくさん見て、あとは楽屋で待つなり、手紙を書くなり、家へ押しかけたり、好きにしろ』、そう言われたんです」

小三治師匠に言われたとおり、寄席や落語会へ足を運び、たくさんの落語と噺家さんを見ているうち、小はぜさんは柳家はん治師匠に心酔するようになり、弟子入りを決意。そして、はん治さんに弟子入りを志願すると……。

 「開口一番、『おお、きみか! うちの師匠のところに行ったのは』。え? いやいや、そんなはずはないと、小三治師匠に、誰にも口利きしないと言われたことを伝えると『確か、その日に師匠から電話をもらったんだよ。いまこういう子が来たんだけどと言って』、そう言われて」

実はその当時、はん治師匠も「まだ自分には早い」といって、弟子をとっていなかったのだそう。決して二つ返事で許可をいただけたわけではなく、何度も会って話をして、入門が許されました。小はぜさんは、はん治師匠の一番弟子として、落語家としての一歩を踏み出すことになります。

黒猫の手拭い。はん治師匠の亡くなられたおかみさんのもの。猫が大好きで、タペストリーとして飾ってあったそう。はん治師匠が寄席で主任を勤められる興行やはん治一門会、旅など普段行けない所で使うことが多いとのこと。
はん治師匠に入門してまず最初に買ってもらった「たとう紙」(衣装たたみ敷紙)。前座見習いの1年間、毎日着物を畳む稽古を繰り返した。すっかり擦り切れて年季が入っている。
二ツ目になると着ることができる、黒紋付きの羽織り。紋は小三治一門の変り羽団扇。

町田市に住むようになった今、
遊んでいた街から仕事をする街へ

出身は川崎市麻生区。今では新宿方面に行くときは柿生駅、小田原方面に行くときは鶴川駅を利用しています。小はぜさんにとっては、もともと町田は慣れ親しんだ街。

「学生の頃から、遊びに行くといったら町田。一番最初に服を買ったのは町田の『マルカワ』でしたし、はじめて映画を観たのは中学生のとき、ローズ劇場で観た『もののけ姫』です。よく通った古着屋の『ダメージドーン』は今も続いていて、頑張ってるなぁと。好きだった『クラーケン』というセレクトショップが何年か前に沼津に移転してしまって残念です。遊んでいた当時といくつも店は変わってしまったけど、街並みは変わっていなくて、今でもやっぱり思い出深い。町田に遊びに来ていた僕が、町田に住み、落語家として落語をしている。落語なんて知らなかったのに。不思議です」

と、話す小はぜさん。鶴川落語会が主催する『柳家小はぜ勉強会』、みんなの古民家(石川邸)で行われる紙芝居いっぷく座さんとの落語会、町田市内で行われる『ふれあい落語』など、小はぜさんは地元での活動にも精力的に力を注いでいますが、他の地域と地元の舞台とでは、雰囲気はいかがですか?

「和光大学ポプリホール鶴川でやっている『柳家小はぜ勉強会』は、ご縁があって、TBS落語研究会の番組プロデューサーであった今野徹さんに声をかけていただいて始まった勉強会です。残念ながら亡くなられてしまいましたが、今でも当時のように客席後方でどっかり座って、“今日の小はぜはどうだ”と見られているような緊張感があります。現在は、今野さんのおかみさん、町田市民ホール、町田市文化・国際交流財団の皆さんが支えてくれています。みんなの古民家(石川邸)での落語会は、古民家とその周りの景色が季節ごとに楽しめますし、小さいお子さんからご年配の方が幅広くお見えになって、和やかな雰囲気で落語ができます。 町田は都内のように寄席があって、毎日落語が聞けるというわけではありませんが、市民ホールやポプリホールでの大きな落語会や『ふれあい落語』のように気軽に楽しめる落語会が定期的に開催されていることもあり、落語文化が根付いているように感じます。耳が肥えているというか。『ふれあい落語』は、リピーターのお客さんが多いですし、根多おろしするときは『柳家小はぜ勉強会』と決めています。料金が安いからといって手を抜くようなことは、もちろんしません」

落語っておもしろいなって思った噺を
僕を介して届けたい

「落語には、古典落語と新作落語がありますが、僕は今、古典落語しかやっておりません。古典落語は江戸から明治くらいまでに作られた噺が多く、文化も時代背景も今とは違いますが、生きている人間は昔も今も変わらない。また、落語会では歌舞伎のように演目が出ていないことが多いので、どんな噺をやるのか、その日その場だけの楽しみもあります。それに季節ごとの噺があるんです。その季節になるとその噺が聞きたくなる、みたいな。そこに相まって、お酒を呑んだり、蕎麦をたぐったり、鍋をつついたり、飲む・食べるの仕草があって。それを見て、聞いて、頭の中で想像して、そうするともうその世界に入っている。そうやって落語を楽しんでいただけたらと思います」

「僕はもともと落語を知らなかった人だから、落語家になった今でも、こんな話があるんだとか、こうやって面白く話している人がいるんだという発見があります。新鮮な気持ちです。僕が、落語っておもしろいなと思った噺を、僕を介してみなさんに届けたい。そんなふうに思っています。

あ、でも、無理して来ないでくださいよ。落語って大したことないんです。座布団の上に座って、しゃべってるだけなんですから!」

(*)落語家は、「前座見習い」=師匠に弟子入りし、身の回りの事をしながら、落語、着物の畳み方、鳴り物の稽古をする、「前座」=前座見習いの仕事に加え、寄席の楽屋働き、開口一番を務める、「二ツ目」=楽屋働きはなくなり、紋付羽織袴が着られる、「真打ち」=寄席の番組(プログラム)で一番最後を勤めることができる。弟子をとることもできる。

撮影/武藤奈緒美
二ツ目昇進以来、定期開催している「柳家小はぜ勉強会」。記念すべき「其の一」のネタ。
初めて出演した『ふれあい落語&コンサート』のチラシとネタ。サラリーマンの頃、頻繁に足を運んだ落語会で、初めて出演した時は感慨深かったとのこと。気軽に行ける地域の市民センターで落語に触れられるのが魅力のイベントだ。
Profile
本名辻浦和哉。1982年生まれ。神奈川県川崎市出身、町田市在住。2011年12月、柳家はん治に入門、2012年、前座「小はぜ」となり、2016年、二ツ目昇進。2ヶ月に1度「柳家小はぜ勉強会」を和光大学ポプリホール鶴川にて開催中。
町田で小はぜさんの落語が聞けるのはこちら
柳家小はぜ勉強会 https://www.tsururaku.com/kohazeroom
ふれあい落語 https://www.m-shimin-hall.jp/schedule.php
小はぜといっぷく https://twitter.com/shundei

撮影/TAWARA 文/小山まゆみ 構成/田中希 写真提供/町田市文化・国際交流財団 撮影協力/和光大学ポプリホール鶴川 
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