町田をふるさとに、そして世界へ!
歌でつながりを広げる宇海-UUMI-さん
更新日:2026.04.30
シンガーソングライター宇海-UUMI-さん
「町田を、ふるさとにしていいですか?」
シンガーソングライターの宇海さんがそう口にしたのは、町田市が市制60周年を迎えた2018年のことでした。 その言葉の背景には、これまでの人生と、町田というまちとの出会いがあります。
宇海さんの表現活動は、物心がついた頃から始まっていました。クラシックバレエを始めたのは3歳のとき。母が市民ミュージカルに関わっていたこともあり、幼い頃から人前で表現することが身近にありました。 映画のセリフを丸ごと覚えて披露したり、歌やダンス、ものまねをしたりと、自然と「表現すること」が日常の一部になっていきます。
小学生のときに、父のバンドのボーカルを務め、学校に届いたチラシを見て、自ら市民ミュージカルにも参加。さらに劇団系の研究所で多くの舞台を経験し、子どもの頃から徹底的に場数を踏んできました。そして16歳のとき、進む道を自分で選びました。
「歌とダンスと芝居、全部経験してきた中で、『どれが一番、人の役に立てるんだろう』と考えました。私の身長は149.7センチ。ダンスはどうしても体格が影響してくる世界だし、セリフは覚えるのが苦手で(笑)。でも歌は、背が小さくても、果てしない世界観を伝えることができる。歌ったときに、喜んでくださる方が多くて、それが歌を選んだ理由でした」
16歳で歌の道を選んだ宇海さんは、芸能事務所に所属し、単身で上京。歌の仕事をしながら、17歳でミュージカル『赤毛のアン』の少女アン役をオーディションで勝ち取ります。
「初めてお金をいただいてステージに立つ経験をして、すごくうれしかったですね」
厳しい環境で暮らす人に歌を届けたい
その思いを胸に、アフリカへ
大きな転機となったのは、19歳のときでした。
「私は人を幸せにしたい、平和にしたいと思っているのに、世界には、裸足で家から逃げなければいけない人や、少年兵として戦わなければいけない子どもたちがいる。その現実をこの目で見ずに、『幸せにしたい』なんて言えないと思ったんです。そこへ行かなきゃわからない。自分の目で見て感じたものを背負って歌いたい」
そうして「アフリカに歌いに行く」という目標が生まれました。厳しい環境で暮らす人のもとへ歌を届けたいという思いから、広島や神戸、新潟などを訪れ、ボランティア活動にも携わりました。さらに2011年の東日本大震災では被災地に足を運び、支援活動を行いながら歌を届けます。そうした経験を重ねた末に、2011年8月、アフリカ・ガーナへ。
「人の役に立ちたいと思って行ったはずなのに、完全に逆でした。想像をはるかに超える生命力に、私のほうが元気をもらって帰ってきて。朝から晩までずっと踊っているお母さんがいて、全然へこたれない。一方の私は2時間でへこたれる(笑)。その底力の強さに触れて、自分はまだ全然生き抜いていなかったなと思いました」
ASKAさんや八神純子さんとの出会いが
歌を磨く大きな転機に
その後も、人との出会いが宇海さんの表現を大きく変えていきます。
「2017年、人生が変わるような忘れられない一夜がありました。 一流の方の歌を間近で聴き、さらに一緒に歌う機会に恵まれたのです。その方は、ASKAさんでした。ライブハウスに来てくださり、私はコーラスとして参加していたのですが、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けました。まるで歌が立体的に響いてくるような、3Dで歌われているかのような感覚で、『人ってここまでの表現ができるんだ』と強く感じたのを覚えています」
アフリカでの経験で、自分の中の眠っていたものを呼び起こされた感覚があったそうですが、「このときはさらにもう一段、細胞が起き上がる感じだった」という宇海さん。歌い手としての生き様を感じさせてもらった、大きな出来事だったといいます。そして、もう一つの大きな転機となったのが、八神純子さんとの共演です。
「2024年から、FNSチャリティーキャンペーンソングをデュエットさせてもらっていて、それから一緒に歌う機会が多くなりました。そこでまた、さらに磨き上げられたという感覚があります。やっぱり緊張感ですね。隣で歌う緊張感、比べられる緊張感。売れている・売れていないで見られるシビアさ。その中で、一声出したときに感動させられるかどうか。歌う目的に忠実かどうか。そのシビアさは厳しさでもありますが、同時に魅力でもあって、実際に歌うと、ぱっとお客さんがいい顔をしてくださる。その感覚を自分でも持てたことで、『自分を信じていいんだ』『信じてきた感覚で私らしく歌っていこう』と思えるようになりました」
31歳で町田と出会い、“永住”を決意
まほろ座の空気感にも惹かれた
横浜で生まれ、8歳から16歳まで宮城県で過ごし、上京後は東京都大田区、八王子市、調布市、渋谷区を転々としてきた宇海さん。31歳のとき、町田市に移り住みます。そこで思いがけない出会いがありました。 近所の人が「お茶を飲みにおいで」と声をかけてくれたり、食べ物や服を分けてくれたりと、あたたかな交流が日常の中にあったのです。
「縁があって、避難所のようにたどり着いたのが町田でした。どこに住んでも寂しさを感じていたのに、町田では自然と心がほっこり。愛も物もたくさんいただいて、救われて。そのとき初めて、ここを自分の居場所にしたいと思いました。踏み込みすぎないけれど、誰かが困っているときには自然と手を差し伸べてくれる。そんなほどよい距離感が、町田というまちの心地よさなのかもしれません」
ほどなくして出会ったのが、ライブレストラン「まほろ座 MACHIDA」(以下、まほろ座)でした。
ASKAさんのライブで共演したピアニストでありアレンジャーでもある澤近泰輔さんの60歳の誕生日ライブが、町田市制60周年の年にまほろ座で開催され、宇海さんもゲスト出演。澤近さんは、まほろ座の店長・佐々木良さんが所属するバンド、キンモクセイの代表曲「二人のアカボシ」を手がけたアレンジャーでもあります。まほろ座で宇海さんが初めて歌ったときには、その歌声に惹かれて、バーや調理場、ホールスタッフが口々に「誰が歌っているの?」「すごい。いい」と声が上がるほどだったそう。
「まほろ座に伺ったとき、スタッフの皆さんとお会いして、なんとなく『ここ、好きだ』って感じました。全国のライブハウスを回ってきた中で、空気感というか、感覚でわかるものがあって。ここはいい空気が流れている場所だなと思ったんです」
「その後、まほろ座が入っているパリオビルのオーナーで、まほろ座の座長でもある中村惠さんにお話を伺ったときに、すごくあたたかくて。『あ、ここだ!』って思いました。いろいろな場所で歌ってきましたけど、なかなか根付くことができなかった中で、町田は根付ける気がした。ここに住もう、永住しようと決めて、“町田永住権”を自分で獲得しました(笑)」
まほろ座には「全員がスター」というコンセプトがあります。ステージに立つ人だけでなく、スタッフやお客さんも含めて、一人ひとりが主役であるという考え方です。その理念は、名前にも込められています。まほろ座のロゴでは、“座”の文字の「人」の部分が★で描かれ、星座のように星が集まる場所を表現しています。アーティストという“スター”に出会えるだけでなく、働く人も、お客さんも、それぞれがスターであるという意味が込められており、その話を聞いたとき、宇海さんも強く共感し、こう言ったそうです。
「ここをホームにしたい!」
まほろ座での出会いが、活動の軸になり、
つながりは新たな舞台へ
昭和48年、町田の人口が23万人に達した際、「ふるさとを持たない子どもたちに、町田をふるさとにしたらどうか」という思いから、市民全員参加の「23万人の個展」が若者たちの手で開催されました。
その精神に共感し、より人間味あふれるあたたかい街をつくりたいと願ったのが、まほろ座の座長・中村さんです。2015年にまほろ座を立ち上げる際にも、「三世代が集える場所を」という想いを大切にしてきました。そして宇海さんと出会ったときも、「町田から、あたたかく良質な文化を発信する場所にしたい」 と熱く語ったといいます。 こうした想いや言葉は、ふるさとを持たないと感じてきた宇海さんの心に深く響きました。そして、宇海さんは自然とこう口にしていました。
「町田を、ふるさとにしていいですか?」
「そこからは、まほろ座でばっかりライブをしている状態で、自称・まほろ座の専属アーティストみたいな感じでした(笑)」
人と人とのつながりは、次の扉を開きました。
「まほろ座を拠点にライブを重ねていく中で、和光大学ポプリホール鶴川や町田市民ホールにも出させていただくようになって。地域の子どもたちと一緒にステージに立つ機会も増え、少しずつ活動が広がっていった感覚があります」
「町田市民ホールで開催された2023年度の『地産地SHOWコンサート』には、フジテレビの方が来てくださって、そこからFNSチャリティーキャンペーンソングを歌うことへとつながりました。 町田市がいろいろ場をひらいてくださっているからこそ、こうしてつながっていっているのだと思います」
「人間だね」と分かち合う歌へ。
町田から、次の夢に向かって
「“宇海”という名前は漢字の中に“母”が含まれています。さらに、私の誕生日が『世界子どもの日』でもあることから、“母”と”子”という関係にとても関心があります。子どもが笑っているためには、大人が笑っていないといけないよね、という話をしていたときに、世界の子どもたちのためのFNSチャリティーキャンペーンにつながって…。町田から世界へ、子どもたちに歌を届けるきっかけをもらった、そんな感覚がありました」
かつては、歌で「勇気や希望を届けたい」「自分がそういう存在になりたい」と思っていたそうですが、その思いは変わってきたといいます。
「最近気づいたのは、私は『みんな人間だね』ということを分かち合いたくて歌っているんだな、ということ。人って、きれいな面もあれば、そうじゃない面もあるし、悩んでいるときもあれば、幸せなときもある。いろんな面が同時にあると思うんです。その全部を、歌の中で表現したいというか、抱きしめてあげたい。無理に取り繕わなくてもいいし、『あなたもそうだし、私もそうだよ』ということを感じ合えたらいいなと思っています。その上で、できるなら少しでも明るい方向に進めたらいいなって。そうやって、『人間だね』って共有できることが、一番の幸せなんじゃないかなと感じています」
宇海さんのこれからの目標は、町田市制60周年の年にまほろ座に導いてくれた澤近泰輔さんと結成したユニット「HOW MANY TIMES」で、新たなシリーズ公演『Lighthouse~further away~』を行っていくこと。
その中で「家族」「灯り」をモチーフにしたアルバムを発表すること。
「だからまずは、最高の一曲をつくりたいです。そうやって、自分の中で“次の章”を、静かにひらいていけたらと思っています」
「そして大好きな町田では、大好きなチームで、子どもたちと一緒に良質なエンターテインメントを創っていきたいです」と。
そうした思いは、町田というまちへのまなざしにもつながっています。最後に、町田市のキャッチフレーズ「いいことふくらむまちだ」に添えたい言葉を尋ねると、宇海さんはこう答えてくれました。
「ありのままを大事にすることで、いいことふくらむまちだ」、もうひとつは「豊かなエンターテインメントがあふれることで、いいことふくらむまちだ」です」
Information
●HOW MANY TIMES 東京公演
『Lighthouse~further away~』
2026年5月21日(木)18:00 OPEN/19:00 STARTJZ Brat SOUND OF TOKYO
2024年にユニット結成した編曲家澤近泰輔とシンガー宇海-UUMI-による『HOW MANY TIMES』東京での初ワンマンライブが決定!!演奏にCrusher木村カルテットを迎え、美しくも力強く日常を照らす「灯台 Lighthouse」のような時間を渋谷JZ Brat SOUND OF TOKYOからお届け。二人が奏でる優しくゆったりとした、そして時に切なく時に激しい音楽をJZ Bratの美味しいお食事とお酒と、その空間と共にご賞味ください。
HOW MANY TIMES:澤近泰輔(Pf)/宇海-UUMI-(Vo)
ストリングス:Crusher木村カルテット
Crusher木村(Vln)/大島淳(Vln)/三木章子(Vla)/遠藤益民(Cello)
S席 完売
一般席 予約¥5,500 当日¥6,000
小学生以下 予約¥3,000 当日¥3,500
▼公演詳細
https://www.jzbrat.com/liveinfo/2026/05/#20260521
