主役は「まちの人」。
南町田の主婦がつくる、
ありのままの居場所
更新日:2025.12.25
永田あいさん
マルシェや子ども食堂、手作り作家のグループ運営から、小学校でのカフェ立ち上げまで。町田市南地域を中心に、永田あいさん(42)は、まるで息をするように次々と活動の「場」を生み出しています。「一貫してやっているのは、いい感じの空間や雰囲気づくりです」と、朗らかに笑う永田さん。「何の取り柄もない私が、こうして活動できていること。それが誰かの勇気につながれば」。そんな想いで取材に応じてくれた永田さんの、パワフルな行動力の源泉は?
「記憶にはないんですけど、母に言われたのはいつもなんか企画してたねって。友達を呼んでお誕生日会とか」
幼い頃、人を集めて「場」をつくるのが好きだった、と振り返る永田さん。しかし、それは遠い記憶。子育て中はむしろ「ずっと下向いてて。役員とか無理です、みたいな」と言います。永田さんのスイッチが入ったきっかけの一つが、コロナ禍でした。
「コロナの時にどこにも行けなくなって。自分がなにかアクションを起こさないと、変えられないし、変えてもらえないし、って思ったんです」
ちょうどその頃、娘さんが通う小学校でPTA会長の募集があり、会長職に挑戦。それが、自分の子だけでなく、学校や地域へと意識が外に向かう大きな転機となりました。
その想いが溢れ出たのが、ある日の「南地区懇談会」。80人が集まる場でマイクが回ってきた時、「80人の前で話すのは人生初」と緊張しながらも、心に秘めていた想いを宣言します。
「小学校の建て替えの話題の中で、『地域の皆が来られる食堂を作るのが私の夢です!』って言っちゃったんです(笑)。朝ごはんを食べられない子も、そこで食べて学校に通える。そんな場を小学校の中に作りたいって。今思えば大胆な宣言ですよね」
すぐに食堂が作れるわけではない。けれど、その宣言を今できることに置き換えていった結果が、多様な活動につながっています。
「想像したら、すぐに創造する。スピード感を大事にしています。考え溜めをしておけない性分なだけですけど」
例えば、子ども食堂「みなみの小さな縁日」は、「食から繋がるコミュニティ」を軸に、多世代間で“やってみたい”を楽しむ場で、毎月第3日曜日に南町田の町谷町内会館で開催しています。また、娘さんが通う小学校では、保護者と地域の交流の場「南1カフェ」を立ち上げ、カフェスタッフとしても活動しています。
今回の取材場所を提供してくれた金森の「ONSO COFFEE(オンソコーヒー)」さんも、永田さんの活動に関わる大切な一人。永田さんが主催のマルシェで、「雰囲気がぴったりなので」とコーヒー担当をお願いしたご縁です。
永田さんおすすめの「アイスレモネードコーヒー」
「巻き込んでいるつもりはないんです。私は多分、人と人を引き合わせているだけ。こことここを繋いだら、あとは勝手に物事が動いていく。子ども食堂も私は料理が苦手なので、キッチンはプロである母に任せっきり(笑)」
永田さんの役割は、モノを作ることではなく、「この人とこの人がいたら、あったかい雰囲気になるな」と想像し、誰もがなりたい自分や、ありたい自分でいられる、「いい感じの空間」をつくることだといいます。しかし、その情熱の裏には、過去の苦しい経験がありました。
子育てでつまずいた、苦しい経験を静かに語る永田さん
「私、子育てで大きくつまずいた経験があって。振り返ると、本当に子どもに八つ当たりしていたり…。今でも『あの時のママ怖かったね』って言われるんです」
ワンオペ育児の中でいっぱいいっぱいだった日々。決定的だったのは、娘さんが小学校2年生の時に、ふと口にした言葉でした。
「祖父が亡くなったり、いろいろ変化の続いた時期に娘が、自分のすべてを投げ出してしまうような、衝撃的な言葉を口にしたんですね。子育てについて私なりに一生懸命学んできたことが、この子には届いておらず、むしろこんな言葉を言わせてしまったんだなって。今までの8年間が全部否定された気がして、ポキッと折れちゃいました」
「今まで避けてきたことをやるべきなんだと思い、私が大の苦手で、絶対向き会いたくないと思っていたことが『食』だったので、食の勉強をしようと思いました」
この決断が、今の活動につながる仲間との出会いを生み出しました。
「私自身が楽しめなかった時期があるからこそ、今子育てしている人には『子育て楽しかったです』って思って終えてもらいたい。そのために、ちょっとでもお節介したいんです」
この想いは、「力を入れている」と語る町田市ファミリー・サポート・センターの援助会員活動にも表れています。早朝の預かりや保育園への送迎など精力的に活動し、ご自身の経験から助けを必要とする家庭を支えています。
「ファミサポでの2回目の子育てを通じて、過去の苦い気持ちから少し解放されて『日々よくやっている』と自分を認められるようになりました。 目の前の娘に対して、『今できることを精一杯やろう』と、忙しいながらもとても幸せで充実した日々を送れています」
自身の経験があるからこそ、その想いは真剣です
活動の舞台となっている町田へは、結婚を機に2011年に越してきました。お隣の地・相模大野で育った永田さんにとって、町田は子どもの頃「家族でお出かけする場所」でした。
「未だに焼き付いているのが、東急ハンズに来ていた恐竜の模型。都内まで行かないと見られないようなものが、身近で、手に届きそうな場所にある。町田は、そういう『キラキラ』や『わくわく』をくれる街」
その原体験が、「今の子どもたちにも、あの頃のキラキラした街のイメージを感じ取ってもらいたい」という想いにつながっています。永田さんが生み出そうとしている「キラキラ」のアイデアの多くは、趣味である境川の散歩中に生まれるそう。
「好きなところは境川で、南町田の方から4キロぐらいをぐるぐる歩くんです。境川って、音もいいし、キラキラした光の反射もいいし、町田市の鳥・カワセミにも出会える。四季の移り変わりを感じながら『これやろう』『こんなのやってみよう』って一人で考えています」
もちろん、活動ばかりではありません。「活動以外では、もうずっとネットフリックス見てます(笑)。ダークなテーマの作品が好きなので、人間関係のぐちゃぐちゃした感じとか、ちょっとそういうのが…」。そんな飾らない素顔をのぞかせつつも、「想像」はすでに次へと向かっています。
「今すぐしたいのは、子育てサロンです。南町田に無いんですよね。まず作りたい!あとは、鶴間公園で野外音楽イベントとか…できそうですよね!?」
と、永田さんの「想像」はまだまだ止まりません。
そして、「この記事を読んで『何かしたい』と思った方がいたら、まずは語ってみてほしい」と呼びかけます。
町田で一歩を踏み出したい人へ、
温かくも力強いメッセージ
「私も最初は『何もできない』と思っていた主婦でした。特別な能力があったわけじゃないんです。ただ、『やりたい』って言ったら、拾ってくれる人がいた。町田市には、熱意を持って話を聞いてくれる行政の方や、地域活動を支援してくれるサポートオフィスの方がちゃんといるんです。だから、どうか一人で抱え込まないでほしい。ファミリーサポートを利用したり、もっと周りの人を頼ったり。『人に頼る子育て』が、町田ならできると私は思っています」
最後に、永田さんの思う「いいことふくらむまちだ」とは?
「私は、『はじめて、いいことふくらむまちだ』だと思っています 。私がとりあえず始めてみたことで、今こうして活動が膨らんでいるので。何でもいいから始めることで、いいことって必ず膨らんでいくと思うんです。町田には、それを見てくれる仲間がいっぱいいますから」
永田さんの「想像」が「創造」に変わる時、町田にはまた一つ、「いい感じの空間」が広がっていきます。